西 暦 |
| 年 齢 |
| で き ご と |
1865 | | 1才 | | 児湯郡上江村(現高鍋町)馬場原に生まれる。 |
1871 | | 7才 | | 高鍋島田学校(もとの明倫堂)に入学する。 |
1879 | | 15才 | | 東京芝の攻玉社に入学する。 |
1880 | | 16才 | | 五指社をつくり、開墾を始める。 |
1881 | | 17才 | | 唐瀬原開墾に着手。内野品子と結婚。 上江小学校(現高鍋西小)の教師となる。 |
1882 | | 18才 | | 岡山甲種医学校に入学する。1886年卒業。 |
1884 | | 20才 | | 馬場原に「朝晩学校」を開く。岡山キリスト教会で洗礼を受ける。 |
1887 | | 23才 | | 日本孤児教育会(のちに岡山孤児院)を始める。 茶臼原原野の購入を決める。 |
1888 | | 24才 | | 「ぼろ軒の下学校」を始める。 |
1890 | | 26才 | | 「信仰の歌」や「依頼の歌」を作る。活版所を始める。 |
1892 | | 28才 | | 名古屋市に震災孤児院をつくる。マッチの工場をつくる。 |
1893 | | 29才 | | 小松宮殿下が孤児院を訪問される。風琴音楽隊をつくる。 |
1894 | | 30才 | | 25名の「茶臼原先発隊」が出発する。 |
1896 | | 32才 | | 岡山に商業部を、高鍋に日州活版所をつくる。 |
1897 | | 33才 | | 私立岡山孤児院尋常高等小学校を設立する。 |
1898 | | 34才 | | 大原孫三郎と知り合い、経済協力の始まりとなる。 |
1900 | | 36才 | | このころ、皇族や政府の要人が次々と視察に来院する。 |
1906 | | 42才 | | 東北地方の凶作によって、岡山孤児院が1200名となる。 |
1909 | | 45才 | | 愛染橋保育所、愛染橋夜学校、日本橋同情館を設立する。 |
1910 | | 46才 | | 茶臼原移転が始まる。 |
1911 | | 47才 | | 鍬鎌主義の理想を抱いて、その実践にかかる。 |
1912 | | 48才 | | 茶臼原の移転がほぼ終わる。 |
1913 | | 49才 | | 茶臼原憲法を作る。茶臼原尋常小学校ができる。製糸会社の社長。 |
1914 | | 50才 | | 1月30日死去する。 |