現在、当館の貴重書デジタルアーカイブで公開されているいくつかの資料は、
旧型のシステムで運用されていたことにより、システム上で決められたページ数しか登録・公開できませんでした。
しかし、現在のシステムには上限がないこと、また利用者様からのご指摘があったこと等を受けまして、
今年度よりそれらの資料の続きを追加する作業を行っております。
また、この機会にサイズを縮小して登録していたフル画像を、デジタル化された時のままの解像度で再登録を行っております。
先日、デジタルアーカイブ内の資料一覧にありました『児玉日誌』において、その作業が完了いたしました。
少しずつではありますが、皆様が快適に閲覧できるよう、このような追加作業をこれからも行って参ります。
引き続きよろしくお願いします。デジタルアーカイブのページはこちら
児玉日誌とは
宮崎県出身の政治家であった児玉伊織による日々の業務及び生活について綴った手記で、
1887(明治20)年から1936(昭和11)年までのおよそ50年にわたるものである。
私的な内容も含まれるが、特に県会議員引退時の1931(昭和6)年以前の記録には、
当時の議会進行や、内外の要人との交流等、県政にかかわる動向が記載されている。
公人とはいえ、一個人の目で見た近代宮崎県政・議会記録であり、当時の状況を知る重要な資料の一つ。
また、県政史のみならず、近代競馬史の研究資料としての価値も高い。
児玉伊織 [1867~1936年] ※画像は『宮崎県大観』より転載
宮崎郡住吉村(現宮崎市)の神職の家系に生まれ、県官吏や宮崎町長を歴任。
その後、県農会書記長、県産牛馬組合副会長を務める。
1911(明治44)年、宮崎県会議員に選出。1927(昭和2)年には県会議長も務めた。
また、宮崎競馬倶楽部を設立し、1923(大正12)年には公認競馬場(現JRA宮崎育成牧場)を発足させた。
1931(昭和6)年、県会議員を引退。1936(昭和11)年死去。享年70歳。